バレンタインデーに自分の『モテ』を赤裸々に振り返る
今日はバレンタインデーですね。
昼間に息子のスイミングスクールに行っていましたが、 妻とママ友はチョコレート交換してました。
最近の調査によると友達同士(女性同士)であげるという割合が 一番多いらしいですよ(さっきニュースでやってました) 好きな人、夫にあげるという割合は3位とか4位でした(2位は忘れた) カジュアルになり下がってますね。
人生を振り返るとバレンタインデー苦い思い出ばかりでした。 今でこそ結婚してますが、これは奇跡だったんです。 というくらい僕の性格は世の女性とはかみ合わない人生でした。
誰得ですが、僕のモテナイ遍歴を記していこうかと思います。
僕のモテナイ遍歴
小学生時代
小学生は「運動ができるやつがモテる」今もそうかもしれませんが、僕の時代もまさにそれでした 。 自分は運動音痴ではなかったですが、いわゆるモテる要素のスポーツ「野球」、「サッカー」..球技が苦手でした。 小学校3年から高校まで柔道をやっていましたが、柔道自体当時?でしたし、 ちょっと離れた町の道場で練習。アピールできるわけがありません。
そしてちょっぴりシャイな性格。
自分で言うのもアレですが、顔はいい方だったと思います (そういう自意識過剰なところがキモいのかも) あと小学校の卒業文集の「ひょうきんな奴」1位にもなりました。勉強も平均以上。 でもまあモテナイモテナイ。
学年一モテると噂のS君の家に遊びに行った時のこと 「ピンポーン」とチャイムが。一緒に外へでると二名の女子が。 その日はバレンタインデーでした。S君にあげる為わざわざ家まで押しかけてきたようです。
生まれて初めて「劣等感」を感じた瞬間でした。女子の一人が、「あまったからあげる」と私にちっちゃいチョコをくれました。 『あまったから』。生まれて初めてプライドを傷つけられた瞬間でした。
と、いうわけで小学生時代はこの「義理チョコ」が唯一同世代からもらったチョコレートでした。
中学時代
中学時代は「ちょっと悪そうなやつがモテる」田舎の町ではまさにそれでした。 中二まで坊主頭でいわゆる「標準学生服」を着用していた僕は、
中学三年を気に何かを変えなければと一代決心をしました。
髪の毛を伸ばし始め、当時流行っていた前髪をサイドだけあげた、今考えると 恐ろしくダサい髪型にし、中途半端にズボンだけ変形学生服の「ベンクーガー」を 手に入れちょっとだけ悪ぶってみました(その後そのズボンは先生に取り上げられた)靴は白のカンフーシューズでした。 するとどうでしょう。僕のことを「かっこいい」という年下女性が現れたのでした。
すると何を思ったのか私、告白されたわけでもないのに 「ごめん、好きな子がいるから」という手紙を一方的にその娘に送りつけたのです。 なんという自意識過剰な僕チンでしょう。
その後お互い好きになった別の子がいたのですが一度一緒に帰ったくらいで 「付き合ってる」なんてものじゃありませんでした。
結局中学時代はチョコを貰った記憶はありません。
高校時代
高校時代はもっと悲惨でした。中学時代平均以上だった、成績がみるみる下がり 希望の高校へは行けず、とある私立高校へ。そこは男女共学なのですが、 校舎が男子と女子に分けられているという、共学にしている意味がありません。
さらに悪いことに親に勧められ柔道部に入部したのですが、 そこは県下でも有数の強豪校で、坊主頭必須、練習は一年を通して360日で、休みは5日。
地獄のような青春時代でした。レギュラーにでもなれていればまあよかったんですが それもなし。まあ良くやっていたなという感じでした。
しかしそんな僕でも一回だけモテキが。 部活のマネージャがレギュラーでもない僕を好いてくれたのでした。 多分『優しそう』それだけで好いてくれたのでしょう。 そんな彼女を僕はまた「好きな子がいるから」という理由で断ってしまったのです。 もう馬鹿ですね。 というわけでその娘からいただいたのが高校時代唯一もらったチョコでした。
大学時代
なんだか書くのがめんどくさくなってきました。 大学時代は今の嫁さんと付き合った頃です。 やっと自分に「正式な彼女」ができた瞬間です。
社会人になってから~現在
社会人になってからはもう彼女一筋 地獄のような社会人生活で彼女に依存してましたね。
というわけで私の人生の中で女性とフツーに話ができるのは今の嫁くらいですね。 未だにそうなんだからしびれちゃいますよね。
『年を取ってから遊びを覚えると始末が悪い』
とうことをよく言われますが、まあそれも心配ないかな。