ジャッキーが僕のヒーローだった。
ファミコンとか持ってなかった
小学生の頃はファミコン全盛期。でもうちにはそんなもの無かった。
お年玉で14800円たまったことがあったが、うちでは認められなかった。
キーボードが付いている、プログラミングができるというよくわからない理由でMSXの最下位モデルCASIO MX-10は認められた。
友達が家に来た時ゲームのクオリティで馬鹿にされた。今でも覚えてる冒険浪漫というゲームだ。
MSXに関しては子供のころいろいろあったので今後書こうと思う。
クリスマスが嫌いだった
クリスマスプレゼントで覚えてるのは小3のイブの朝、枕元にあった、ケミカルウォッシュのGジャン(ゴムのリブがついてるやつ)
両親のセレクトに驚愕した。
あとはクリスマスイブの夜、ケンタッキーを買うか買わないかで両親がげんかし、泣いた。
今思えば笑えるが、我が家には子供が喜ぶイベント、モノはあまり考慮されてこなかった気がする。
その反動からか今では病んでるくせに無駄遣いっ子になってしまった。でもアメリカまで行かせてくれた親には感謝してます。そういう教育方針だったのだと思う。
ジャッキーが僕のヒーローだった。
さて、幼少の頃の娯楽のメインといえば、テレビ。
中でも高島忠雄(ゴールデン洋画劇場)水野晴郎(金曜ロードショー)荻昌弘(月曜ロードショー)らが紹介するジャッキームービーに僕は興奮した。
ある日うちの兄貴が塾で勧められ、ビデオ講義を家で導入することに。
僕と違って兄は優秀だった。
そこで我が家に当時うん十万もするVHSのビデオがやってきた。ただ基本は勉強のため。親に決められた曜日しか使うことが出来なかったが、ジャッキー映画をこれで観たい!そんな時に限って放映がない。
当時、市販のビデオソフトは14800円だった、、そう思っていたところ、街の電気屋さんでダビングサービスをやっていると。生テープを持っていけば店舗にあるソフトを有料でダビングしてくれると!
(今思えば著作権的に完全にアウトな商売、、)
画質はそれなり、でもなんども見た。
とまあ映画一本観るのにもレンタル屋さんも近所になく、というかその頃ビデオレンタルという業態があったのかも忘たが、大変苦労した。
秋田書店のムービーコミックス
そんな中、お世話になったのがムービーコミックス
映画の画面をキャプチャして吹き出しをつけただけの本だが、これを何度も観て映画鑑賞をしている気分になったものだ。
今考えるとすごい時代だね。
いや、今が凄すぎるのか。